南極観測50年(5/15号)
平成19年 5月 15日号
今回の特集は
南極観測50年
石井威望のコメント
初代南極観測船「宗谷」と昭和基地開設から始まり、揺籃期の「ふじ」、発展期といわれる「しらせ」の時代に至るまで、この間約半世紀が経過している。観測内容の充実は当然ながら、社会の側でも環境問題の重要性の高まりなど、半世紀の変化は想像以上に大きい。2007〜8年の「国際極年」で再び盛り上がりを見せようとしている中で、第48次観測隊も活躍中である。
基地にネットワークが導入され、隊員の生活の充実(娯楽を含む)と同時に、文字どおり南極がインターネットを通じて日本列島とも繋がり、またアジアを中心とする国際的関係においても、日本は大きな役割を果たしている。今回の執筆者は、国立極地研究所の藤井理行所長である。
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ポイント
1. 黎明期ははるか遠く、今や地球環境や宇宙科学の最前線
国際地球観測年を契機に幕を開けた我が国の南極観測。初代観測船「宗谷」のもとでの昭和基地開設、越冬観測開始という黎明期から始まったそれは、50年を経て今や南極が地球環境や宇宙科学の最前線となった結果、研究対象が広範に及び、観測手法も高度化、自動化、立体化した。
2.「ふじ」による揺籃期から「しらせ」による発展期へ
時代を追うごとに観測船の輸送力は増大し、基地の拡充整備、大工程の調査旅行、「みずほ観測拠点」の設置、オーロラ観測、隕石とオゾンホール発見などの成果をあげ、また国立極地研究所の成立もともなった「ふじ」時代という揺籃期を経て、大型気球実験、超伝導重力計導入、大型短波レーダー観測、ヘリコプター利用の沿岸地学調査、VLBI観測、氷床深層コア掘削などのプロジェクトを実施しながら、環境面への配慮を高め、関連条約・法律を発効させた「しらせ」時代という発展期に至った。
3.50年目以降は我が国のリーダーシップと門戸開放に期待
2006年11月に第48次観測隊が出発したが、そのプロジェクトの多くは「国際極年2007-2008」プログラムの一環として実施されている。アクセス手段が観測船から航空機にシフトしたり、基地にネットワークが導入されたり、隊員は多くの娯楽を愉しんだりと時代が様変わりしてきている。そのような中で、アジアを中心とした国際的連携における我が国のリーダーシップ、および学生、子供、サイエンスライターなどにも門戸が開放される第四代目の新観測船への期待が高まっている。